京ことばで綴る洗心のひととき

過去に千眞工藝が発行したメールマガジンどす。
だいぶぎょうさんになってきたけど、せんぐり読んでおくれやす。

  • 2004年05月28日掲載

    貫禄十分のお父さん

    子供の教育に、あんまりおかあはんの力が強おしたら、ようないらしおす。

    昔のおとうはんいうたら、貫禄十分で、黙ったはっても座敷にデーンと座ってはるだけでよろしおしたんちゃうやろか?

    そやけど、この『貫禄』とはどっからきたかいうたら「貫」は古く通貨の単位として使われてたんどす。

    穴あき銭を紐に通して、その数を○貫というてましたんえ。
    それに重さの単位でもあったんえ。

    「禄」は禄高(ろくだか)で収入のことどした。
    ずっしりとした重量感のある威厳のあるお人をいうた言葉どす。

    子育てに懸命のおとうはん、単に太ったはるだけやのうて貫禄十分のおとうはん目指してほしいもんどす。

  • 2004年3月4日掲載

    都をどりはヨーイヤサァ

    祇園。さすが古都を代表する花街やさかい、今でも花見小路あたりを歩いていると、だらりの帯をゆらし、おこぼの音をぽっくり、ぽっくり響かせ「おか(あ)はん おおきに」とお座敷に上がる舞妓はんに会うこともありますんえ。

    一見華やかそうに見えますやろ。そやけど、舞妓はんへの道のりは行儀・作法・京舞・京言葉と想像以上に厳しらしおす。

    祇園甲部 歌舞練場で毎年4月1日~30日まで催さはる『都をどり』はまさしく彼女達の厳しい修練の発表会やし無事に終ってこそはんまの春が訪れるみたいどす。

    なんで、この春を呼ぶ『都をどり』はいつ、どないして始まったんどっしゃろか?

    明治に入り都が東京へ移ってしもたことにより、京都の人口が一気に減り経済が落ち込んだんどす。そこで明治5年に第1回京都博覧会を行わはりました。
    その博覧会の余興として催されたんが『都をどり』やったんえ。

    踊りの振り付けをしゃはったのが京舞井上流三世井上八千代はん。
    好評を博し、大成功を収めはった。因みに平成16年は132回になるそうえ。

    演目は毎年変わるけど、「都をどりはヨーイヤサァ」の掛け声は昔も今もかわらしまへんな~。

  • 2004年1月23日掲載

    新選組・・・ラストさむらい

    今まではなんとのう 悪いおひとで、暗いかんじやった新選組は、テレビドラマや出版物なんかの影響で近藤はんや土方はんのイメージがようなって、すっかり人気者にならはりました。

    ごっつい利権にしがみつくやから(族)が ぎょうさんやはる中、世の中に逆らえんと、負けることをわかってても最後まで信念を貫き通す、いわゆる”武士道”といわれるもんが、共感を呼び今の時代におおてんのですやろか。

    ところで武士の掟として「切腹」いうえらいもんがありますけど、これはよその国のお人には、あんまりわかってもらえへんようどす。

    古くから日本人は頭や心臓よりも魂が宿る"おなか"が一番のところと信じたはったからやそう。しかも切腹は町人やお百姓さんにはできひんかったさかいに武士にしかできひん、武士らしく死ぬ最高のデモンストレーションやったんですやろな。

    最後まで武士道を貫きとうさはったこの人らは、まさしく『ラストサムライ』やったんどすな。

  • 2003年11月14日掲載

    ダルマはんが赤おすのは?

    願いがかのうた時に黒く目をいれるあの朱だるまが禅宗の始祖達磨大師をモデルにしてはるのは知ってはりますやろか?

    もともとはインドの王子さんやった達磨大師は中国に渡り、嵩山少林寺にこもらはって面壁九年もの間壁に向かって、じいっと座ってはったその姿からあの手足の無いダルマはんが誕生したそうえ。

    そやけどダルマさんは、なんで赤う(あこう)に塗られてはるのやろ?禅宗では、高い位の僧だけが赤い衣を着れることになってるんで、禅宗を開かはった達磨大師に敬意を表すのに赤いべべ(着物)を着せてはるというわけなんえ。

    還暦で赤いのんを着てはったんと ちゃう(ちがう)かったんやな~

  • 2003年10月10日掲載

    芳香を放つ

    キンモクセイのほんまにええにおいがしてますなぁ。
    あたりが和らいで、この時節で一番と違いますやろか。

    春の花の沈丁花、秋の花のキンモクセイ。どっちもええ芳香を放ちますにゃけど、キンモクセイは九里香とも言うたはって、九里(36Km)先にまで漂うたと言われてますんえ。

    「桃李不言、下自成蹊」(とうりものをいわざれどもしたおのずからみちをなす)いう禅語があるんどす。

    桃や李はどっちもものは言わへんけど、そのすばらしい花香や果実に惹かれて人が寄り集まり、いつのまにか自然に小蹊ができるというもんんどす。おんなじように徳のあるお人には黙ってても、なんでかぎょうさんの人が集まる、と。

    そういう人物でありたいもんやおへんか~。

  • 2003年6月21日掲載

    盛り塩

    昔から、日本人いうのは縁起をかつぐんが好きですな~。
    京都では、客寄せの縁起かつぎに、よう料理屋さんの店先にひと握りのお塩が円錐の形に盛られてますんえ。

    中国の故事からきたもんなんやて。なんでも中国の皇帝が多くの側室を囲ってはって、牛車で側室の邸宅を訪れはるんやけど牛の歩みが遅うて、オナゴはんの数もたんとうおいやすと順番もなかなか回ってきいしまへん。

    そこで一人のオナゴはんが考えはった。牛車をひっぱってる牛は塩が大好物やさかい、門のねきに塩を盛って置いとかはった。
    案の定、牛はお塩をねぶって動かしまへん。仕方のう皇帝は、長居をすることになってしまわはった、という訳。

    おなごはんの作戦は大成功。このことからお客さんの足を停める意味で、今でも料理屋さんではやったはるんえ。

    今やったら洗車付きの駐車場でも作っといたらええんですやろか?

  • 2003年05月23日掲載

    ネクタイと背広

    お父はんの、ネクタイと背広姿いうのんは格好よろしいな。

    ネクタイのはじまりは、兵隊さんの防寒用のネッカチーフ。
    色や柄をおしゃれに工夫して、巾の広いもんやったらしいえ。

    背広は、元々宮廷に仕えたはった人の制服やったもんが、階級性がくずれて、一般人のフォーマルな服装へと変化したんやて。
    ほんでから、この背広におうたようにネクタイも細く長くなったんえ。

    社章をつけてる穴は、昔は襟をたてる時につこてたボタンホールの名残。
    ダンディな男はんが、胸に花を飾るのに挿したんで『フラワーホール』という名前がのこってるんどすえ。

    お父はんが、胸に花を飾ってやつしたはる姿って・・・想像できひんわ~。

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